石垣の高さは日本一!? 香川県が誇る名城丸亀城

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丸亀城について

 現存12天守と言う言葉をご存じでしょうか。現存天守とはその名の通り、江戸時代以前に作られた天守閣が現在まで残っているお城のことです。日本に現存天守は12個あります。代表的なは姫路城、松本城などですが、今回紹介する丸亀城も現存12天守の1つです。当サイトで紹介している宇和島城や松本城も現存12天守の一つです。良ければこちらの記事も読んでみてください。

 残念ながら丸亀城は姫路城や松本城のように創建当時の様子がそのまま残っているわけではなく、現存しているのは天守くらいで、他の建物は損失しています。しかし、天守と日本一の高さと言われる石垣は現存しています。

 すごく有名なお城という訳ではありませんが、現存12天守の一つとして今日でも健在している丸亀城について今日は紹介したいと思います。

丸亀城の歴史

 まず丸亀城の歴史について簡単に紹介します。丸亀城の始まりは室町時代で、この地に砦を築きました。本格的な築城が開始されたのは豊臣秀吉の時代で讃岐17万石の大名生駒親正が城主となりました。

 生駒親正は織田政権の時代から豊臣秀吉の家臣として働いていました。豊臣秀吉の天下統一の過程で着実に出世を重ね17万石の大名となります。

 香川県高松駅の側にある高松城も生駒親正の築城です。生駒親正は豊臣政権末期には3中老という立場になります。3中老とは5大老と5奉行の間に入り調整をする立場で、生駒親正の他、中村一氏、堀尾吉晴が就任します。

 ただ実際の所3中老という役職が存在したかは不確かなようで、後世の作り物だという説もあるようです。また、仮に3中老という役職が存在したとしても3中老の大名は5大老、5奉行の大名ほど豊臣政権下での発言力はなかったようです。

 最終的に生駒親正は関ケ原の戦いでは自らの子供を東軍に、家臣を西軍に派遣して両方に味方する姿勢を取ります。結果的に生駒親正は本領安堵が許されます。東西両軍に味方するのは真田氏みたいですね。

 さて、丸亀城ですが江戸幕府により一国一城令が出されたため、一時廃城となます。しかし、その後生駒氏がお家騒動になり東北に転封(領地を変えられること)されると、山崎氏が入城し復活します。山崎氏もお家が途絶えてしまったため京極氏が入り明治を向かえます。

丸亀城の解説

 丸亀城はJR丸亀駅から歩いて10分ほどで着きます。しばらくするとすぐに立派な石垣が見え始めます。大手門を潜ると天守までは徒歩5分ほどです。

 丸亀城は日本一の総高を誇る石垣が特徴ですが、逆に天守まで登っていくのは大変です… 結構急な坂道を登っていくので動きやすい靴で行きましょう。もっとも舗装はされていますし、距離も短いので体力に自信がなくても問題ありません。

丸亀城の大手門
丸亀城の大手門

丸亀城の天守の入場料は200円ほどです。中には簡単に丸亀城の紹介がありました。天守からは丸亀市内を一望でき、瀬戸大橋も見れます。また四国の瀬都内側では造船が盛んで、丸亀城からも造船らしき光景を見ることが出来ました。

丸亀城 天守閣
丸亀城 天守閣
造船と思われる景色
造船と思われる景色
瀬戸大橋
瀬戸大橋

 正直丸亀城の天守は立派とは言い難く、日本一の石垣を見るために来る方がいいかもしれません。

丸亀城のおすすめとアクセス

 最後におすすめ度とアクセスの解説です。

おすすめ★★☆☆☆
アクセス★★★★☆

 丸亀城は現存12天守ですが、天守としての見ごたえは正直他のお城に見劣りする印象です。ただ、高松からも近くアクセスも容易なので四国旅行する際に、立ち寄る場所の候補の一つとしてはおすすめです。

 アクセスはJR丸亀駅から徒歩10分程度ということで比較的アクセスは容易です。丸亀は高松から近く、香川の有名な観光地金比羅山の帰り道などに立ち寄るのがおすすめです。

丸い亀日記
亀飼育のおばさんが資産を増やして城を建てるまでの物語です。お金、借金、投資の話をします。

~以上~

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